【後悔する前に】がん検診を、受けないと手遅れかも

病院薬剤師 業務例

一般健診で異常を指摘され、管理人の勤務先にやってきたXさんというがん患者さんの後悔。毎年ちゃんと一般健診を受けていた方だったのですが、異常指摘の時点で手遅れでした。

がん発見>一般健診(末期がんのXさん事例)

他のクリニックで定期的に受けてた一般健診で、肝機能の数値が高い事から管理人勤務先の病院を紹介された方でした。

自分でも、最近おしっこが黄色い事を不審がってはいました。でも自覚症状はそれだけでした。

入院し、CTやMRIをして撮影してくと、自分の病気の悪さが解っていきました。入院病名もどんどん悪い物になっていき、肝機能異常>肝腫大>胆道癌・肝転移>胆道癌・Virchow転移(左鎖骨下静脈への転移=手遅れ)と変化していきました。

治療方針も変わっていきました。最初は肝機能異常の精査だけだったのに、写真をとるにつれ、がんの精査が必要になっていったのです。最初はがんの根治を目指した方針でしたが、Virchow転移が見つかったとたんに「根治ではなく、ADL(生活自立度)を少しでも長く確保することが治療方針」となったのでした。

つまり、健診で肝機能異常が見つかった時点で、手遅れでした。

健診受けてるのに裏切られた、と思われるかもしれません。ですがそんな方は、最初の図を見ていただきたいのです。一般健診でカバーしているはんいに、末期(手遅れ)の部分が有るはずです。定期的な一般健診といえども、がんの初期をすべて捉えるわけじゃないです。まさにこの方も初期で捉えきれず、一般健診で発見>末期だったパターンでした。

だから初期でがんを発見してやっつけたいなら、がん検診が一番確実なんです。

若いからがんにならない・・・は思い込み

もしもXさんがかりに70台とかで、子供さんが独り立ちした後だったらショックは小さかったと思います。

だけどこのXさん、不幸なことにまだ50台なりたてでした。そして若かったから、まだならないだろうとがん検診を受けていなかったのでした。

子どもは全員、成人前でした。そして一人は、高校受験の年でした。

中学三年といえばまだ親に反抗期でいる、生意気な時ですよね。そんな気難しい子の、さらに受験前のピリピリした時だというのに。

この手遅れ発覚した6月の時点で、5年後の彼の成人式には参加してあげられない。そして父親と一緒にお酒のむ事も、かなわぬ夢となりました。

一部告知を選択した苦労

Xさんのご家族の方は、Xさん本人には一部告知を選択しました。つまり胆道癌で肝臓浸潤までは伝えた。だけどその先、Virchow転移して完治できない、余命半年である事は伝えていない。

そんな一部告知の状態で始まった、抗がん剤治療。手術はできないstageなので抗がん剤が第一選択です。Xさん本人には単なる胆道癌とだけ伝えて、自分の命を諦めない様に励ましていまいた。

管理人もそんな状況で、Xさんの抗がん剤レジメン(GC療法)を設計し、抗がん剤を調剤・指導することになりました。

・・・こうして管理人とXさんとの、長い付き合いがスタートしました。

だけど一部告知の状態は、苦労が多い。

『薬剤師さん、ぼくはこの抗がん剤をもう何度もやっている。手術できるstageには回復してきたのかな?』

・・・とても辛い言葉でした。奥さん・医者・看護師・薬剤師みんなで口裏合わせてウソをつき続けて、抗がん剤を作り続けているのですから。僕は幸い2週間に一度あうだけで、病状聞かれたら『正確な情報は医師に問合せ下さい』と逃げられたのでマシでした。ですが毎日いる奥さんは、苦労が絶えなかったのです。

奥さん「来年から長男が高校生になる。家にはもう自転車おきばないからどうしよう?」

Xさん「来年には僕がいなくなる。車が一台減るのだからいいのでは?」

・・・奥さんはこんなハッとするような言葉をしばしばいわれて、必死で隠し続けたそうです。そしてXさん自身も、(後から知ったのですが)自分の本当の病状を悟っていました。だから治るだなんてウソついているのだろうと、鎌をかけている訳ですね。奥さんはこういう心臓の悪い思いを、何度もされていました。

それでも奥さん、苦労しても2週間に一度、抗がん剤治療のため病院に来て、Xさんにつきっきりでした。寂しがりなXさんのためにずっと喋りかけて、元気つけていました。

体力が落ちてきて・・・

体力が落ちてきてXさんの抗がん剤、3週間ごとになりました。投与量も減りました。Xさん本人は抗がん剤で手術できるようになるはずなのに何で、と不審がっていました。3週間に一度の抗ガン剤をもっていく僕にも、冷たい視線を送るようになりました。

そしてちょうどそのころから、Xさんの体力が落ちてきました。歩く時もなんとなく重そうで、奥さんに肩組んでもらって。食事もとれなくなり、栄養点滴のために病院通いとなりました。当然仕事は退職。ADLが低下してきたのです。それは胆道癌の告知をしてから5か月目くらいの頃でした。

Xさんは弱っているのがよく分かりました。管理人があってすぐくらいの頃は、背も高くてがっちりしていて、とても50台に見えない位の精悍な方でしたから。

それなのにこの数か月で急激に白髪がふえ、頬骨が浮き出てきて、声にも張りが無くなって。急に老け込んだ印象でした。検査していなくても、消耗して死が近づいている印象をうけました。

そんな頻繁な点滴通い中でも、いつも奥さんはついてきて傍にみえました。寂しがり屋のXさんにとって、心強かったことでしょう。

後から知ったことなのですがXさんはこのとき、家でも意識を失いがちで、一日中寝ている事が殆どだったそうです。

在宅看取りへ

Xさんは栄養点滴をしていたある日、トイレに行って床で失禁し、意識を失ってしまいました。2時間休んで帰宅したのですが、その後急な腹痛で救急車、管理人の病院に入院となりました。

腫瘍の破裂、それによる腹腔内出血でした。つまりもう死期がすぐだということ。ですから在宅看取りと入院看取りを選ぶことになりました。

在宅看取りと聞いて子供さんは、『お父さんが家にいる事が怖い』といってみえました。当然ですよね。中三の男の子が、目の前で死んでいく父親を受け入れられるでしょうか?

暫く入院していたXさんですが、奥さんは気が気じゃなかったようでした。最後には突然の電話で『今日これから連れて帰ります。荷物と薬をまとめておいてください』とね。当然です。このときはコロナ緊急事態宣言の真っ只中で、感染予防で面会禁止なので入院看取り=死ぬまで会えないという事ですからね。奥さんとXさんがスマホでテレビ電話繰り返すうちに、会えなくて寂しいと伝えていたようでした。

コロナ禍の入院生活は、とにかく孤独です。面会OKの例外なんてありません。たとえ明日尽きるかもしれない命であってもね。センチメンタルな話になっちゃいましたが、不特定多数が病院出入りすることになれば、無症候のコロナ保菌者かもしれず、ただでさえ入院加療が必要な弱った人間たちにどれだけリスクになるのか。だから面会禁止に例外はないんです・・・

はじめは入院看取りを選んだXさんですが、最終的には帰宅=在宅看取りを選択されました。それは奥さんの気持ちに折れ、自分の孤独な入院生活に耐えられなくもなったのです。だってXさん、せん妄が激しくなって自分の意思が伝えられなくなっていました。訪室すると涙を浮かべて、体をねじって、痛い痛いと言っていたのです。叫ぶことも、ナースコールすることも解らず。それに『一人で要る事が寂しい』『自分がいまどこにいるのか、何をしているのか解らない。自分がどうなっていくのか解らない』としきりに訴えていました。がんの痛みと、麻薬増量でせん妄までひどくなっていたのです。

私たちに出来ること

日本人の死因No1ががんであることは、周知のとおりですよね。でもがん検診の受診率は、とても低いです。欧米では70%を超えており、高齢化にも関わらずがん死亡率まで低下してきています。日本の受診率は惨憺たるもので、高齢化に伴ってがん死亡率は上昇しています。

「おれは大丈夫」「がん検診なんてめんどくさい」

こう言ってきた患者さん皆さんが、告知を受けてから「しまったあの時・・」と言われているのです。

だから、がん検診を受けてほしい。自分は大丈夫だなんて、思わないでほしい。家族がいる、仕事で忙しいという方こそ受けてほしいです。

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